平盛胤の墓
<町指定史跡>
亀ヶ城最後の城主十四代猪苗代盛胤の墓です。父盛国が伊達政宗に寝返ったにもかかわらず、嫡子であった盛胤は一貫して会津芦名方でした。伊達軍と芦名軍の摺上原の戦に参戦した盛胤は深手を負い横沢(郡山市湖南町)へ行きました。その後、内野集落で77才の生涯を閉じました。この盛胤の墓は内野集落に、またその遺徳を慕って臼井平右衛門らが建立した五輪塔は国立磐梯青年の家のすぐ下にあります。
亀ヶ城最後の城主十四代猪苗代盛胤の墓です。父盛国が伊達政宗に寝返ったにもかかわらず、嫡子であった盛胤は一貫して会津芦名方でした。伊達軍と芦名軍の摺上原の戦に参戦した盛胤は深手を負い横沢(郡山市湖南町)へ行きました。その後、内野集落で77才の生涯を閉じました。この盛胤の墓は内野集落に、またその遺徳を慕って臼井平右衛門らが建立した五輪塔は国立磐梯青年の家のすぐ下にあります。
住所 | 耶麻郡猪苗代町大字八幡字山根地内 |
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電話番号 | 猪苗代観光協会 0242-62-2048 |